2012年1月22日日曜日

今年もどうぞよろしく、喋る喋らせる話

無事2012年になったようですね。

去年はサビ残の嵐で、予定通りクリスマスは中止になりました。

年末の大戦は戦友に丸投げして、

年末年始は関西、北陸、南東北を経由してちょっとした旅行をしてきました。

その記事を年明け一発目で出そうと思ってたんですけど、予想以上に面倒だったのでやめました。

いや、春休みに入りでもすればたぶん書くと思うんですよ、たぶん。

個人的にも記録しておきたい行事だったので。ね。


さて、正月も遙か遠い昔のように感じる今日ですが、

一昨日はちょっと積雪してみちゃったりなんかして冬真っ盛りですね。

日本の暦なんて今では大部分が廃れてしまった文化ですが、未だに大寒という言葉は健在の様子。

ここ、さいたまの最低気温はずっと氷点下が続いています。

でも、今年の寒さはいつもと違う・・・。

その理由もきっと、きたぐに旅行記で明かされるはず!乞うご期待!

話は一旦戻りますが、一昨日昨日今日は南関東久しぶりの降水でして、

今日は午後ずっと降りっぱなしの様子。降水量もそこそこあるようです。

東京ではひと月以上乾燥注意報が出され続けていたとか。

平野で風景写真を撮る人間にとっては恵みの雨となるのでしょうかね。



さてさて、本日まで実質3ヶ月、ブログの方をお休みさせて頂きました。

今日はちょっと電車の中で色彩心理学の本を読んでたんですけどね、

やっぱりいいですよ。本は。

まあね、個人的によく読むのは自然科学と哲学の狭間を彷徨うような本なんですね。

先人達が最大限考え得る真理を垣間見ることができるような気がしましてね、

それに、原始的な思想に興味があるんですよ。

何を知っているときに何を思いつくのか、と簡単に言えばこの追求なんですけど、

何も知らない時代の人が何を考えつくのかって、これ結構興味深いですよ。

まぁまぁ、実際は俺の興味対象なんてちょっと乱雑すぎて言葉にできないんですけどね。



では本題に入りましょうかね。

今日は喋る話。

実は今日、久しぶりにバイトに行ってきたんですね。ほぼ一年ぐらいぶりに。

まぁ接客業なんですけど、お客さんと話をしなきゃいけない。

でもねー、よく考えたら俺話すの下手なんですよ。

考えなくても、っていうのは突っ込まなくていいところなんですけどね。

ちょっとそれについて今日はひとしきり考えようという事です。


昔見たテレビの番組で、大学のちょっと偉い人が言ってたんですよ。

相手に事の真意を喋らせるときはこっちは黙らなきゃいけない。

何事も事象を言葉で表すのは楽な事ではないです。

どんなに賢い人でも、真意を語ろうとしてくれるときは言葉に詰まる事が多いらしいんです。

それってつまり~~ということですか?

という助け船を出すと、

そうそう、そういうことなんだよ

、としばしば乗ってきてくれるらしいんですが、実は彼が言いたいのはそうではないのだとか。

言葉で表現できないから詰まってるのに、

こっちが言葉を提供して意志表現できるわけ無いじゃん。

ざっくり言えばそういう感じですね。

お偉い政治家さんとかから面談でお話をお伺いするらしいんですけどね。

その番組でここまでは言及してなかったですけど、

ここでは恐らく言語を通した非言語コミュニケーションってのが割と大事になるんだと思います。

言語コミュニケーションが文字によって平滑化できるものだとすれば、

それ以外、つまりは強弱抑揚、ボディランゲージを始めとして、

えーと、何て言うのかな、あのー、

~~、じゃないな、そうじゃなくてほら、うーん

のような、以前にも書いたかな、言葉の「髭」に近い存在の、

一見無意味な、無くても良さそうな文字の塊をもが意志を伝える事に一役買うと僕は考えますね。

言いにくいのはまず明確ですよね。

言いたいのか言いたくないのか、そこもじわじわ伝わるでしょう。

他にもオフレコ度合いとか、悲しみ苦しみなどの思い入れも時には表れるかもしれません。


この件に関しては数年かかって現状に至るんですが、

言葉にすると微弱ながら語弊が生じてしまう。仕方ないとはいえ誤差の発生は免れ得ない。

この考えが概ねまとまった時から、より抽象的な結論を好むようになったかもしれません。

もしかすると、ブログの記事が減ったのもその影響かもしれませんがね。


抽象的に考えるって事は、前述したように十分な言語化をせずに考える事なんですが、

そうなると必然的に自分の意見を声に出す事が難しくなるんですね。

そこで拍車をかけるのは、不必要なこだわりだったりもします。

一番厄介なのは、自分の中ではかなり興味深い話を暖めていたとしても、

その興味深さを十分相手に伝える事ができない可能性があるときですね。

その話題を振ろうと思っても、理解して貰うのに数分単位で可能な話ではないので、

瞬間芸的な効力はどうしても生み出せない。

かといって、普段から自分がどう動くのが結果的に功を奏すのかばかり考えているもので、

起承転結のある程度整った何かの体験談とかを組み立てる習慣が無いですから、

初対面の人と和むっていうのが正直難しいんですよ。

趣味が被ってたり、あるいは思慮深い人とは特に話が進むんですけど、

完全に住む世界の違う、話の二手先が読めない、

となるとどうも建設的な会話が成り立たないわけですよ。

そもそも雑談で何かを得ようとする考え自体がナンセンスかもしれませんが、

たまに、この人賢いな、と思える人と会話すると、または一方的に話を聞くだけでもいいですが、

刺激的で楽しむ事ができるんですね。

他にも一方的な啓蒙、と言うとやり過ぎですが、相手の振ってきた話題に対して

少し鋭い角度で切り込んでいって、それだとこうした方が?とか、それだとこうなるかもよ?

みたいな文字にすると相当嫌な奴に見えますけど、相手の気付いていない視点から

必要な意見を述べるというのは楽しいと感じますね。

例えるなら数学の演習問題でも解いている気分なのでしょうが。