2012年7月31日火曜日

今年も夏休みがきました 自己分析と首尾一貫の話

去年は夏休みの工作をやってたんですね。

というか、あれ作ってからもう1年近く経ってるんですね。段ボール本棚。

あの本棚は、段ボールの箱を見て思い立ったその日に作り始めて、接着剤の都合で翌日に完成したんでしたかね。一気に作ったというわけではなかったと思います。


今年は何しようかね、なんて事を今決めたって結局やらないパターンが多いですし、性格的なものでしょうけど、宣言しちゃうと実現しないっていうジンクスがあるので、なかなか単発的な計画は立たないのですが。


とりあえず直近の課題として自己分析なるものを進めていかなくちゃいけないかなと思うんですね。


心理学の分野で自己分析はうまくいかないというのが相場ですが、どうやら就職にあたってはこの自己分析とやらが鍵を握るらしいぞ、というのを知りまして。

自己分析と一言に言っても、目的によって必要となる情報は様々ですよね。

今回は自分の魅力を他人にわかるように分析しなきゃいけないんですね。

実は、自分にわかるように自分を分析するっていうのは結構やってるんですよ。

小学生くらいの時は、文書で自己紹介をするのに自分で長所短所を書くじゃないですか。足が速いとか頭が悪いとかけんかが強いとか。

まあ、文字に起こすわけじゃないですけど程度としてはそれくらいの自己分析ですね。はい。


自分にわかるようにやるのと他人にわかるようにやるのでは雲泥の差なんですよね。いや別にどっちが泥とか雲とかじゃないですけど、目的によって価値が全く変わってくるわけですよ。

知らない人に自分の価値を知ってもらうには、もちろん他人向けの自己分析が必要だし、自分の価値をより高めるのであれば自分向けの自己分析をしないと効率が悪いです。


他人向けっていうのが難しくてですね、聞くところによると、どうやら謙虚な日本人は自己PRを控えめに作っちゃうらしいんですね。やってみるとまあその通りにうまくいくものではないんですが。



長い間ブログを書き続けてわかったことでもあるんですけど、自分の癖として、話し相手の顔色をうかがいながら話を進めるときが一番議論の進行が早くなるみたいなんですよ。

というのも、どうも相手がどこまで理解してるかを基準に次の言葉を選ぶ癖があるようで、疑問に感じているとわかったらその疑義を潰し、興味がありそうな事は蛇足にならない程度に余計な事までしゃべるんですよね。

逆に言うと、相手が話を聞いてないとわかったらその時点で全てが終了してしまうんですね。

そしてこうやってブログを書くときでさえ、万人にとって疑いの余地のないよう、自分の意思を曲解されないようにしようとしちゃうので、文字を書くのになかなか時間がかかるんです。

読んだ人が何を思うかと考えたとき、自分の望まぬ方向に勘違いする可能性があるときはそれを正すために何らかの修正や加筆を試みたり、あるいはそもそも言及しない事で本筋を明確にしたりと、悩まないようにするために結構悩んでるみたいです。

基本的に会話の順序ってのは相手に依るんですよ。

何を知っているのか、どんな言い方をすれば理解しやすいのかは人によって違いますからね。



余計な話もしておきましょうか。

昨今改善してきたのは姿勢の明確化。自分の意思が今どの方向に向いているのかを自分で正確に把握しておくという事。

自分がどうしたいのか、ぼんやりではなく、はっきりと決めるのです。自分が何をどうしたいのかはっきりしないうちに物事を進めていると、ふと振り返ったときに過去の自分と言っている事に矛盾があったりします。

自分では気づかなくても、余所から見ているとコイツ何やってんだろうって思われてる事も往々にしてあり得る話。

それは他者からの信頼にも影響するでしょう。始めは味方だったのにいつの間にか敵になっている、と思われたらそれ以降は味方だと思ってもらえないでしょうから。

姿勢の明確化は詰まるところ、物事に対して首尾一貫した対応を保証することにつなげます。

そうする事で、初っ端に十分な意見交換さえしておけば後は任せる、ということもしやすくなるわけです。結果はどうであれ、過程において方向性を議論する必要性が少なくなりますから。

武士に二言はない、と言いますが、自分の場合は少し違うかもしれません。この姿勢を最後まで保つ事ができるだろうか、結果的に何らかの不利益を生じないだろうかと先に全部考えちゃうんですね。

例えば、できない約束を軽々しくしちゃう人っていますけど、自分は基本的に最初に相手を信頼させる事はしないようにしています。

約束ではなく、なるべくどうするとか、できれば、あるいはできないかもしれないけど、というこの先起こりうる可能性を相手と共有する事で不履行によって信頼感を失う事を防いでいます。

見方を変えればズルいとも言えるし、責任から逃げてると思う人も少なくないでしょう。

しかし一方で、こうして「できないかもしれない」案件の依頼を受けたとき、基本的に全力を尽くします。自分がその依頼を成し遂げるかどうかで相手の利益が決まるときは、自分にとって少々不利益であってもやってあげようと思うようにしています。

良く言えば情けは人のためならず、悪く言えば恩着せがましいとでも言えるでしょうか。

まあ、ギブアンドテイクの助け合い精神が根幹にあると思えば良いんでしょうかね。


ただ、最近は一部の心ない人たちが、その人たちの利益ばっかりで自分が一方的に損してる事があると気づいたんですね。ギブアンドギブですよ。全く。

そういう人だと気づいたらなるべく依頼は受けるときに断るようにしています。まあ、基本的に最初に相手の利益と自分の不利益を天秤にかけて断るんですけど、それがどれくらい失礼な事をしてるつもりなのかわかってるのかわかってないのか・・・。

これも一種の姿勢の明確化だと思います。上では短期的な話をしてきましたが、人間関係では長期的な姿勢を考えるのが大事なんじゃないですかね。

利害の一致しない人と一緒にいても仕方ないというか、そもそも自分にとって迷惑であるということを意識して対応する事で、そのうち相手も気づいてくれるんじゃないかと思いますのでね。

ただ1つ言っておかなくちゃいけないのは、相手が致命的な損害を受けるようであれば自分が一方的な損をしようとも問題の解決に尽力するということ。

自分が3の損をすることで相手が100の損を免れるならば形振りは構わないという事です。

まあそれでもやはり、これまで自分に100の損をさせてきた人に手をさしのべる事はありませんが。




みたいな事をこれからいくつか書いていこうかな、なんて思います。夏休みだしね。

2012年7月30日月曜日

cicada

蝉ってどうやら復活とか不死の象徴らしいですよ。

確かに言われてみればそんな気もしてきます。







蝉の声を疎む人って結構多いのかもしれないですけど、自分の場合あんまり嫌には思わないですね。

嫌がって静かになるならいいですけど、意識するほどきっと気になると思うんですよ。

何でもかんでも風情扱いして受け入れちゃう民族なんだから、それに乗っかっちゃえばいいんじゃないですかねぇ。




2048*1536 f/4.4 1/125 ISO-80 949mm




ベランダから見える位置で鳴いてるもんですから。そりゃ撮ってみたくもなりますよ。


みーんみんみん・・・あれ?違う?

2012年7月27日金曜日

お久しぶりに月を撮った

何度も言いますけどね、月は欠けてるときが綺麗なんですよ。

表情が出ますからね。



これくらい欠けてるときは、昼と夜の境目にあたるところが際立ちます。

クレーターと言ってしまえばあまり夢がないかもしれないですけど、

地平できる影はなかなか乙なものではありませんか。



2048*1536 f/4.4 ISO80 1/10 949mm


あんまり空気が澄んでないこの季節なので光が滲みますけどね。

ふと月が見えると、やはり月のご機嫌を伺ってしまいますね。