2013年6月30日日曜日

考えよう。答はある。

話のわかる人と話をしたい。と最近思う。

前から思っていたけど、この間「朝まで生テレビ」を見ながら改めてそう思った。

政治家の仕事は別段議論することだけではないけど、朝生のようにヤジを飛ばしながら主張する機会を得ていく議論では的確な言葉の選びが大切だと感じる。政党の看板を背負っている立場なので、一言一句に注意を払って自分たちの主張を完全無欠に言い表さなければいけない。10人近い敵同士が限られた時間で言い争うのだから、無論言い間違いや曲解されかねない言い回しは揚げ足を掬われる。歩き始めたら意見そのまま前に進まなければならないというのは簡単なことではない。


個人名を覚えてない出演者もいるし、誤字とかも面倒なので政党名で代わりとする。

感心したのは維新。橋下代表は意見がはっきりしてその上よくしゃべるという印象のある人だが、維新の出演者も性格的には橋下氏に似て意見をしっかり言うし、突っ込まれてもそれなりの根拠があるような風だった。不意に発言する機会を得ても墓穴を掘らない正確さがあり、瞬発力のある人だと少しうらやましくも思った。
一方で自民。ネットでは社民の福島氏が大好物だとか言われてた正にそのままで、社民の意見にはよくかみつく人だ。こんな小学生がいたら「おまえあの子の事好きなんだろ?」とからかいたくなるほど。そのくせ、ちょっとしたことで追求されると口籠もったりして小物感を醸し出していた。知らないことは知らないと認めればその場はやり過ごせるのに、なんて思いもするが実際あの場にいるとそうもいかないのかもしれない。
その点、民主の長妻氏は冷静さが良い。他人の発言中にあまり口を挟まないし、落ち着いた物腰で懐の深さを感じさせる。知識や見識に富んでいるのは一目瞭然で、とにかく不用意なことをせず必要なことを効果的にやってくれる印象を持つ。番組中、自分のことを話題にしているのに頷きもせず淡々と聞き続ける姿は相手からするとやりづらささえ感じるかもしれないが、視聴者からすればそれくらい堅さを感じるのである。

些細な事だが、みどりの出演者。「そんなことはない」と反論したかったのだろう、しかし発言者が多くて発言権が得られないシーンがあった。そのとき嘲笑するような「ふっふっふ」という声をマイクが拾っていた。大人数で議論するとたまに(しばしば歳を召した方が)「そんな“馬鹿げた”ことはない」という意味で笑いながら反論する姿勢を示す事がある。反論された側としては「何がおかしい」と言いたくなるが、それは当然思うつぼであって挑発に乗ってはいけない。
ドラマなんかでも突然笑い出せば注目が集まり次の瞬間には発言権を与えられるけれど、それは議論の場で使うテクニックではない。乱暴に言えば、構ってほしくて悪さをする子供とやり口は変わらない。ただし他の論者も配慮をする必要があって、「時間を割いてまで言いたいことがあるならはっきり言え」と話を振ってみて、大したことを言えないならば自然と発言権が無くなっていくことを利用せねばならない。ただ、これには場の多くの者が協力する必要がある。
当人としては小さな政党なので普段は言いたいことを言えるし反論できる立場の人間もそう多くないのではないかと推察する。

他には共産。都議選で言い流れを感じたのか他党とは違ういつも通りの姿勢にも余裕を感じられたし、気のせいか発言力も感じられた。特筆することはないが、党としてどうこうに加えて個人としての意思も持っているようで好印象だった。
生活はなんというか、圧倒的小物感でその辺の自民の新人の方がしっかりしてるぞって感じすらしたほど。むしろ何しに来た。
みんなはどういう経歴の人か知らないけど、自民か民主かってほどに真っ当な議論のできる人で、なるほど政治家だ、という印象。みんなとか維新は正直言って都議選でもう少し議席をとれてよかったのではと思った。
社民。いつも通り。自分の言うことは何でも断定する福島氏。頑固さが前面に出ていて極論一歩手前みたいな言いぐさが、なんというかめんどくさい。通説でそうなっているのか、経験的にそう言えるのか全くくみ取れないのだが、最近ではテレビで姿を見ると「今日も元気で何より」と心の中で呟くようになった。


あまり政治に熱心な方ではないので、あくまで政党の批判をするつもりではない。番組を見ながら終始気にしていたのは議論する力。ディベートという言葉も浸透してきたが、関心があるのは言い負かすのではなく、オトシドコロを見つける力。今回の番組は意見を一致させる目的ではないが、大雑把に見ればその一部とも言える。
ちなみに言っておくと「うどんが食いたいかそばが食いたいか」というのは議論ではない。議論がしたいなら「うどんが旨いかそばが旨いか」とすべきである。前者は基本的に感情論であり、昨日そばを食ったから今日はうどんが良いという主張もまかり通る。後者は比べて定性的で、その内容は普通時と場合に依るものではなく持ち越しても話を続けることができる。

さてその議論力とでも言うべきか、場を合意させる意見を導く能力は常々磨きたいたいと思うものだ。そう思うのだが、実際はそう簡単に磨けるものではないらしい。論理に関する本を読んだり、あるいは手段である言語を扱う本を読んでみるのだが、実際のところ日常的に議論する場を持たないとその効果も薄いのである。
そこで問題なのは、議論をする相手がいないということだ。元々友人が少ないのが原因ではあるのだが、数少ない知り合いでも真っ向から意見を言ってくれる人はそういないのが現実。物事をまじめに考えるのは面倒という風潮があるのか、はたまた俺に一度絡まれたら厄介だと思われてるのかは知らないが、個人的には最終的な相互理解を目指す主義なので甘いところはぶっ潰すし褒めるところはなるたけ褒めるようにしている。大事なのは斜に構えるのではなく、互いに腹を割って話をすることだと思う。
ある時期はなんかよくわからないが何件か相談を受けるような時期があり、意見を述べるとフムフムと納得してくれることもあったのだが、最近はそれすらもなくて物事を考える機会がそもそも減ってしまった。それゆえ、何でも良いから積極的に議論をしようという事を言いたいのである。

ついでに言うなら、見ての通り記事のコメント欄も解放してある。匿名でも書けるようにしてあって、反論だけでなくご意見ご感想でも、誤字の指摘すらも受け付けているつもりだが、コメントなど随分ご無沙汰である。ただお断りしておきたいのは、論旨のはっきりしない意見や熟考されていないと見受けられるものにはそれなりの返事しかできないという事で、こればかりは実際の会話でもそうである。
まあ、ハッキングから今晩のおかずまで普通に相談でも意見を聞きたいだけでも気軽にばっちこいですよ。
見知らぬ人でも相手はするし、偏見無く会話ができて理屈の通る人であれば誰彼は問いませんから。

2013年6月12日水曜日

惡の華とか、たまにはアニメの話題とか

惡の華。今アニメでやってますけど、なんかすごい作品だなーっていうのは見てる人の多くが思っているようで、なかなか評判も良いようです。

最初はなかなかアニメーションの手法に目が慣れないし、話もいまいち方向性がくみ取れなくて見るのをやめようかとすら思ったのですが、10話あたりになっておもしろさも絶好調です。

個人的に評価しているのは心理描写の緻密さです。人をつついたらどう反応するかっていうのがかなり正確に描けていると思います。映像としてではなく、物語としてです。

昨今のアニメの原作に占めるラノベの割合というのが増えてますけど、多くのラノベ原作作品はそこがいまいちきれいに表現しきれていない。というよりも、作り手がそこに重点を置いていないのではないかと思います。

少なからずラノベに否定的な立場なので公平な物言いができないですけど、ターゲットの読者層にウケが良い作風にするには細かい心理描写よりも、もっとダイナミックな、魔法だとか改革だとか戦争だとかみたいなものを面白く書ける方が大事なのかなと思います(言い過ぎ)。

心理描写と書いてますけど、実際はちょっと違って、心の葛藤を描くみたいなのではなく、人として自然な反応をしているということです。

ここ何年かアニメは腐るほど見てきましたが、ギャグものとかラブコメものでなくても人間の性格的性質を正確に表現できていると感じたものは数えるほどしかありません。おそらく、それくらい難しいもので、需要もないのだと思います。

架空の物語を作るとき、登場人物(あくまで人)の性格を手段や手順はどうであれ決めると思いますが、多くの場合その設定の段階で人間に対する作者の偏見が反映されるものだと思います。

これまで会ったことのある人、性格をよく知っている人、あるいは自分自身など。自分の想像できない世界を書く事は非常に困難ですからある程度は仕方ないと思うのですが。

自分の知っている「人間」という像の中で物事を動かそうとすると少なからずバイアスのかかった(偏りのある)ドラマにしかならない。つまり、別の人(像を共有しない人)から見れば実際的ではないと見られるわけです。

その点、惡の華はかなり正常な(話の内容は一般的に見て相当異常なものだが)人間の動き方をしている。普通は、自分だったら、とか、こうあってほしい、こうだったら面白い、みたいな低次元の話ではなく、登場人物の根底の性格が一貫していて、ヒトらしさがうまく表現できている。という評価を今のところしています。

確か、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の前半でも似た事を考えてたものの、後半は驚くほど適当な感じになっちゃったものと記憶しています。

また、「アマガミ」、特に原作は異常なまでにヒトを上手く表現できています。アニメ版もそれなりに良いんですが、時間が限られてるし脚本の都合もあるのでしょう、ちょっと水で薄めた感じになっていたと思います。ぶっちゃけ、アニメ版の脚本か監督かが原作の意図を十分理解できていないものかと思ってます。