2012年12月28日金曜日

理屈の話

ツキイチで書いてるつもりだったけど、一ヶ月って割と長いし、書こうと奮起できない時期が続くといつの間にか忘れてたりもするんでね、みたいなよく意味のわからない言い訳をしつつ今年を締めくくる記事を書くのですよ。



理屈のお話です。

理屈の苦手な人って案外多いものですよね。まあ、自分で理屈が得意かどうかってのはなかなか絶対的には計れませんけど。

理系の人は理屈っぽくて、文系の人はそうじゃない、みたいな風に世間一般では思われがちですけど、経験上そうでもないと思うのです。自分が理系だからか周囲には理系の人間が若干多いですけど、理系の学問を専門としてるにも関わらず理屈が苦手な人は割合にすれば思いの外多い気がします。

理系の人は一般に数学なんかが得意な傾向にありますけど、中を開けてみると、実際に数理力が高い人と、公式を覚えるのが得意とか解き方を覚えるのが得意な人と、ざっくり二パターンあると思います。もちろんどちらか一方だけでは数学の問題を解くことはできませんが。それら二つを比較したとき地頭力といいますか、未知の課題を解決するためには当然前者の力が重要になるわけです。

アバウトに言うと、カミソリみたいな思考力を持つはじめまして理系タイプと、経験と記憶力で困難に打ち勝つおひさしぶりです理系タイプに分けられるということです。理系としてどちらが優れているというのは問題でないのですが、理屈に強いのは前者ですよね、というところ。

中高レベルの数学の先生でも経験上それぞれのタイプがいます。数学は当然よくできるのに、学問外では筋の通らない話し方をする、なんて人も。ですから、学業の成績とはある程度の関係しかなくて、学力が一定以上のレベルになると必ずしも論理力が追随するわけではないという事です。

既にこの辺の言い回しからして難しい言い方をしているようですがご了承を。


さて、おひさしぶりです理系タイプやどちらさまでしたか文系タイプの皆さんと話を、もとい議論をしているとよくあることなのですが、用意された理屈に穴を見つけることがあります。別段揚げ足を掬ってやろうという魂胆ではなく、情報共有の課程で見つかるものですが。時に矛盾点であったり、あるいは検討が不十分なところであったり、優先順位をうまく設定できないために事態が進展しなかったり。

そういった理屈の脆弱性を見つけられたとき、自分は上から目線でものを言われるのがすごく腹立たしいので、逆に自分が見つけたときはなるべく本人にそれとなく解決してもらうように仕向けてます。問題はここからなんですよ。

おひさしぶりタイプの中には隠れはじめましてタイプみたいな人もいて、自分で問題解決できる十分な思考力を持った人もいて、見えなかった能力を垣間見たりもする一方、ほんとにほんとの真性おひさしぶりタイプの人にエッジの効いた指摘をすると問いかけの主旨すら理解されなかったりするわけです。

理屈という名の鈍器。そう個人的には呼んでますけど、シャープな切り返しが通用しない場合に固くて鈍い理屈で殴り続けるんですね。いうなれば土台の亀裂を明るみに出すような行為です。非破壊の打音検査をするふりをしながら、実は壊れそうなところを徹底して全力で叩き破壊するレベルで悪質なものですが。

そんな中、一番やっかいなのはお茶を濁して鈍器をかわそうとする人ですね。めんどくさがりでずる賢く生きようとする人に見られますが、鈍器を用意し始めると突然語気を弱めたり、その場しのぎの予防線を張ったり、あるいは議題自体を一方的に遠ざけようとしたりと、態度を急変させるのです。これをやられると当然質疑がうまくいかなくなるので、指摘する側としては自分の理解力が足りないのか、あるいは相手の理屈に問題点があったのかはっきりしないまま終えてしまう事になります。

殴られるのがわかってて正座してるのも確かに恐ろしいもので、自分よりも優れた論理力を持つ人と話す時は自分自身及び腰な考え方をしてしまいます。それでもやはり自分の劣った思考力を正面から受け止め自覚する姿勢は必要だと思います。


論旨がはっきりしないようですが、半分は愚痴でもう半分は自分に対する戒めのような、思いついたことをそのまま書き記したくらいの記事です。
読者へのメッセージがあるとすれば、誰かお互いのためにも尋常に論戦を交わそうよ、というところであるのですが。