2012年4月26日木曜日

水草の話

ツキイチ投稿が板についてるのは、もうなんか、どうしようもない気がして仕方ないんですが・・・。

最近ウルトラブック買ったりね、メカニカルキーボード買ったりマウス買ったり、

いろいろ贅沢してるんですよ。


自分で稼いだ金でものを買うのってやっぱ良いんですよね。

汗を流して稼いだお金って、まあ振り込みなんで多少薄まりますけど、

親のすねをかじってる身分にとってはちょっと別物な気がしますね。

タイミング的には、春休みのバイトが終わって、使う暇無く稼いでたわけですから

その分貯まってるわけですけど、去年よりも実は残高多いんですよ。

去年は春休み中に事故って自転車壊したので、新車の調達にほとんど使ってしまって

夏頃には空っぽだったんですけど、その後補償金が振り込まれて

合計すると結構な額になっちゃったんです。


正直、あんまり贅沢が得意な人ではないものですから、

多めに使うっていうのがなかなかうまくいくものではないんですね。

昔から手元にあるもので何とか上手くやっていくスキルを身につけてきたものですのでね。


たとえば今回買ったウルトラブック。

ノートパソコンは既に一台持っているんですが、

これは大学に入学するときに買い換えを前提にして最低級モデルを買ったんです。

デメリットを承知の上で最低限の機能が付き、その中でコストの低いもの、という選び方でした。

当時は、ノートパソコンの技術も日進月歩で、今中高グレードを選んでも、

そう長くない月日のうちに最新の廉価モデルと肩を並べる性能になるだろう。そう考えました。

その上で、デメリットと向き合い、タイミングを見計らって買い替える計算でした。

購入したとき、入学祝いみたいなもんでしたから

親が全額負担してくれるという話だったのですが、どうにも高い機種を選ぶこともできず。

うまく言葉がみつかりませんけど、自分の利益を優先して他の損失を大きくするのって

どうしても生理的にすんなりこないもんですから、この時も例外ではなかったようです。


我慢するという意識よりも、くせ者を最大限に使いこなすって面が魅力的だったんでしょうね。

都合の良いように自己陶酔できるときはwin-winなわけですから。

で、まあこの度ウルトラブックの規格が出てきまして、わー薄ーい軽ーい。

な訳でacerのお触り会で新宿に行ったりもしました。

裏切られましたけど。なんか知らんけどLet's noteに感銘を受けて帰りましたけど。

その後しばらくして春休みが明け、初期不良の再生品が中古扱いで出回ってたので手を伸ばし、

ここが買い物の下手なところなんですけど、その勢いでデスクトップ用のキーボードを買い、

ノート用のマウスを新調し、といった感じですね。

ただ、いずれも購入検討自体は数ヶ月前から始まってたものですから、

タイミングとしては問題なかったんですけどね。


というあたりが主な近況でしょうか。

たぶん書くことはそれなりにあるんでしょうけど、重ねて言いますがツイッター参照ということで。




では、本題の水草論に参りますか。

いつも通りに、ものの考え方に関する持論を一方的に投げつけるコーナーです。

以前書きました、ふわっとした理論。

ふわっ

モヤッと理論だった気もしますけど・・・、言明できない根拠に基づくものの、

どこか自信のあるモワッとした考えの事でした。

それと一部共通する議題です。

これまた勝手にそう名付けているだけなんですが、この件を「水草」と呼んでいます。


順を追って説明しましょう。

たとえば、「あどけない」という言葉の意味に自信がなくなったとします。

少年、少女などの子供によく使われる言葉ですが、なんとなく使い方を知っていても、

その根拠に自信がなくなることもあるでしょう。

特にこういった漢字を使わない和語は、成り立ちや由来も想像しづらいのです。

外国語の堪能な方はイノセントだとか、パッと出てきて確信を持てるでしょうが、

今日はどうにも関連語も出てこない状況を想定します。

この構図を水草のようなものに例えました。


水中でフワフワ揺れている水草があったとしましょう。

この水草、しっかりと根を張っていれば掴んでも引っ張っても安心できます。

できることにしてください。

しかし、またある水草は引っ張ってみると根っこが無く、

本来あるべき場所がわからなくなっています。

この水草を座標の基準とすることはできません。


これが「あどけない」です。

だいたいこの辺、というのはわかるし、見たこともある。

でも、正しい使い方だという根拠が見当たらないのです。

この水草論にはまだ先がありまして。

根が付いていなくとも、近くの草と絡まっていれば根の代わりにその場所で留まれます。

つまり、「あどけない」の類語として「無邪気な」とか「無垢な」を知っていれば、

「あどけない」の使用に関して十分な自身をもてるのです。


もう少し水草の特徴を。

「つぶらな」という言葉があります。

自分自身、この言葉の本当の意味も由来も知りませんが、その語感から、

「粒」という音のラベルが付いています。

「つぶらな瞳」と言えばまん丸の、大きくてかわいらしい目のことを指す、そう覚えていますが、

粒、つまり球体のイメージが染みついているため、

まず「丸い」とか、「大きい」といったヒントが芋づるの様に手に入ります。

このくらいの断片が集まれば、経験的な自信がつき、

根っこどころか関係の無いものと結びついているだけでも座標が明確になるのです。

ちなみに、漢字では「円らな」と書くので、正攻法ならば漢字で覚えるべきでしょうが、

今回紹介した繋ぎ方は言ってみれば語呂合わせな様なもので、

繋がりそれ自体は本人以外にとって何の意味も成さないものであります。


ここ最近は、なぜかこの根のしっかりしない言葉がいくつかあり、

その度に忘れないようにと調べるようにしています。

例えば「靴ずれ」。

靴のラストが自分に合わなかったみたいで痛いわ・・・。というのではない方です。

ちょっとそっちの業界でアルバイトをしていたこともあり、言葉自体は何度か聞きましたが、

実際にそれが何なのかは知りません。

あらゆる知識を元に引っかかりそうな近所の水草を探すわけですが、

なかなかしっくりくるものもなく、居場所のない草だけが残ります。

今時ググれば3秒で出てきますが、

この水草理論を確立してからは必ずどこかに植え付けるようにしています。


今回は言葉に限った話をしていますが、このことは数理的な考えにも結びつきます。

わかりやすい例で言うと、ある定理を覚えたとしても、

使い道をよくわかっていなければあまり役に立ちません。

大学で数学の勉強をしていると、ふと高校で学んだ無駄だった公式と結びつくこともある話です。

まあ、自分はその定理とか公式とかもろくすっぽ覚えてないもんですから関係ないんですけど・・・。

以前の記事で誰かが道ばたで吐瀉した残骸が、って話を書いたときに触れたと思いますが、

今後使い道があるかもしれないストックとして溜めておき、いつかどこかで何かと結びつける、

その結びつけるという工程がこの水草を絡ませる、という考えそのものとほぼ同じなんですね。


書いてる自分自身で辛うじて筋を通してる程度なんで、

軽い気持ちで読んでる人には何のことかわからないかもです・・・。

そもそも言葉に直せるものでは無いので、ストレートに伝えられないのは勘弁してください。



さて、よくわからないうちに更に次の話に進めます。

「浮島」です。

あ、水草の続きですので一応そのつもりでお願いします。

水草の先の方が絡まり絡まりすると、そのうちしっかりとした組織ができてくると考えてください。

正直このへんは理屈じゃないので。文句なら俺の発想力に言ってください。

ひょっこりひょうたん島みたいな、海底に根付いていない、泳動する島のことを指します。

マクロ的には北極みたいな感じです。

いくつかの根の生えた水草に大量の水草が水面近くで絡まり、

島のような、一見しっかりと地盤ができているような塊があったとしましょう。

その浮島からひょろっと顔を出した水草はしっかりしてるように見えますね。

しかし、元を辿り辿りしていくうちに、どうしても海底にたどり着けないことがわかります。

その島全体の信頼性が無くなります。失墜して地に落ちれば・・・ってそういうわけにもいきません。

例えば、先程使った「マクロ」。

マクロ、ミクロ、巨視的、微視的、と重要な視点の取り方を学ぶ際にやたら使いますね。

でも実際、この単語同士がスクラムを組んでるだけで、

どれ一つとして「根っこ」がしっかりしていなければ、

ただ水面を漂う浮島であるということになります。


この例では小規模ですが、ひょんな事から特大の浮島を発見することがあります。

もし失敗できない場でこれに気づき、自信を喪失してしまうと

正気を保つので精一杯になりますから、

日頃から疑いがあれば根っこを確認し、変な絡みが無いか点検するのです。

この理論自体はほんの最近形作られたものなので、

これからまだどこかで別の理論と融合したりしなかったり、という事になるのでしょう。

いずれフヤッとしたものが無くなるようになればいいんですが、

それはそれでどこか楽しみを一つ失ってしまうような気もしますね・・・。




このブログの投稿画面、やたらと表示できる文字量が少ないので、

文章全体を見ると結果的少なめになるんですが、本当はもっと詳細に書きたいんですよね。

それと、見栄えのために結構頻繁な改行をしてるので一文あたりを短めに、とか

きりの良いように構成してるためになかなかうーん、なところがありますね。

森を書こうとしてたのに、いざ森に入ると木のことばっかり書いてる、というのもあるでしょうが。


文庫サイズの文字で縦書きにすればなかなか良い感じのボリュームになるかもしれませんけど、

こういう類のネタは自分自身があんまり画面と睨めっこしてよみたいとは思わないものですから、

少なくとも、自分の読みやすいと思うこのスタイルで続けるのかな。

それと、このブログに関してよくわからない人からとんちんかんな指摘を受けたんですけど、

あんまり読者のためのブログって位置づけではないので、ちょっとどうしようもないですかね。