2011年10月19日水曜日

モヤッとした英語が母国語でファインプレーな野球の話

月一レベルでの投稿が常習化してるんだけど、もうちょっと頻度上げていきたいですね。

哲学もどきのネタ減ってるけど最近考えてないの?ってそんなことは無いんですよ。

文章にして頭の中を整理したり、将来読んで面白そうだなってのを記事にしてるだけで、

四六時中頭の中で結んだりほどいたりしてます。


最近の傾向としては、考察の割合が増えてますかね。

思考の傾向も時間と共に変化してるみたいで、

昔は目で見える発見の積み重ねでしか無かったんですけど、

観察と傾向・法則の元データにも限界があってですね、

生活を大きく変えない限りフレッシュな情報が来ないんですよね。

新しい情報が少ない分、確認作業が続く事になりますけど、

その時にもう一歩踏み込む余裕ができてるようです。

バックグラウンドで何が起こってるのか、見えないところで起こっているインターナルな変化。

原因の仮定と結果に結びつくための内的な変化過程の推測ですかね。

文字にするとなんかアレですけど、もっとアバウトで抽象的な事を考えてます。

長い時間をかけないと見つけられない微少な何かってのは、

他人に説明しづらいものが多くて、他人に説明しても価値を見いだせなかったりするんですね。

その分自分にもその類の情報は入ってこないし、

例えば名言集だとか偉人伝みたいな物にも書かれないだろうし、

それを読んでも読者は理解できないですから自分で探すしか無いんですね。


探してそれがどうなるかっていうわけですけど、

例えば論文において引用って結構大事ですよね。

急に学者気取りかってまぁそうではないんですが、

引用できる論文の数が多いほど、次の論文のネタが増えるんですよ。

論文っつったら他人にも読めるように書くのが筋ですけれども、

自分が引用するだけなら自分さえ読めれば良いじゃないかって事ですよ。

本当は他の人にもわかってもらえればいいんですけど、

言葉に出来ないモヤッとした考えってあるじゃないですか。

わかってもらおうと無理に説明しようとすると、

それって誰でもわかるよね?みたいな事になったりもしますけど、

そんなモヤモヤ理論でも、次の理論の土台にはなり得るんです。

妙に理屈に当てはまるような画期的な、でも些細な論理を思いついたりするんですね。


でも、その論理の最大の欠点がありまして、

その論理がたまたま話題になったとき、他人と議論が出来ないんですよ。

その論理に対する主張の根拠がモヤッとしてるから相手を納得させるだけの根拠がないんですね。

自分が確信を持っていたとしても、相手はそれに反論してくる。

もしかすると、相手は自分とは違うモヤッと理論を基礎としているのかもしれません。

あるいは逆に、自分にはモヤッとした根拠もないけど、

たぶん違うであろう事を相手が主張してくることもあるでしょう。

その不毛な議論をするとき、決着をつける鍵となるのが「自信」になるんですね。

こいつ、言ってることはよくわかんないけど悟った表情をしてる、

とか、前提がいろいろ足りないけど、どこを突かれても反論を持ってそうな口調だな

っていうので判断するしか無くなるんです。

安易に譲るのは良くないですけど、

相手の理論に十分な矛盾が見いだせないときは潔く屈するしかありません。

自信があるのに自分の意見が通らないのは悔しいですから、

いつか誰かに譲ってもらおうと思いながら折れて下さい。

相手にやられて嫌なことを――  ってのは言葉だけは小学生でも知ってます。

少なくともやられて嬉しいことはやってあげて下さい。


でも、譲り合いスピリットを根底から覆すのが「論破」なんですね。

論破は文字通りに、その論理を破る、

つまり、導かれた結論が実は不完全であり、無意味な物だと指摘する結構えぐい行為なんですね。

議論ってのは相手が納得するのが理想なんですけど、

最近よく見るのは相手に有無を言わせない宣言なんです。

何の宣言かって、指摘に続いて矢継ぎ早に「論破した」と相手に宣告するその行為です。

論破の宣言とは、同時に自分の主張が絶対であるという服従命令に他ならないんですね。

自信のない主張に断定的な説明をするならまだしも(これには別の問題があるのだが)、

自信を持った主張を切り捨てる行為は相手に対する侮辱として受け取られても仕方ないのです。

幼い子供が知ったような口をきいたとき、大人が容赦なく否定するのは良くある風景ですが、

論破はこれとほぼ同じ事をするわけですから、論破した側が絶対的に優位である構図を必要します。


例えば、子供は大人の否定する理由を理解した上で、

幼いが故に言及すべき条件、除かなければならない事象等、をどう言えばいいかわからず、

その点を省いた主張をしてしまったとすると、忙しい大人はめんどくさそうに否定します。

言うまでもなく、子供は大人に構ってもらいたい性質があるわけですから、

笑顔で言葉を交わしたいし、褒めて欲しいとか驚いて欲しいとか、個人差はあるにしても

大人に突っかかる子供は、大人が自分の影響を受けると興奮します。

自分が大人にとって無視できない存在であることを確かめる事で、安心感を持つのでしょうか。

しかし、「馬鹿なこと言わないの」とか、「そんなわけないでしょ」と一蹴されると、

たちまち立場がなくなります。

「そうじゃなくてー」と言って納得してくれる状況ならいいですが、

「きいてよー」と言われたらその大人はきっと子供の気持ちに答えられていないのでしょう。

この話を膨らませると「はいはい、後でね」とか、「わかったから静かにしてて」の話になるんですが、

ここで論じたいのは子供と大人の話ではなく、ある意見を主張する人とそれを論破する人の話です。


企画書を上司に提出しても読まれずに捨てられれば凹みますよね。

たぶん。提出したことないですけど。

読んでくれただけ良かった、なんて話はたまに耳にします。

自分より10年以上会社に勤めてる上司に「こんな企画じゃ絶対駄目だ」と言われたら、

執拗に説得したり、自分が出世したときまで暖めておこう、みたいな話をドラマで見ます。

上司にもいろいろいるとは思いますが、少なくとも尊敬している、

絶対的に自分より優れている(と思う)上司に否定されたなら、

とりあえずその返された企画書を見直そうと思うでしょう。

一方で、自分と同等かそれ以下の能力(と思い込んでいる)同僚や部下に

「絶対無理」と提出前に言われたらどうでしょう。

予算が足りないからとか会社にそんな博打はできない、というのではなく、

その理屈はおかしい、という意味だと思って下さい。

そんなことで売り上げが伸びると思ってるの?客が集まるわけ無いじゃん。無理無理。

企画書を書き直して先ずこいつを納得させようと思う人はきっと出世するんでしょうけど、

順当に行くなら、概ねの方針を変えずに提出するでしょう。

上司ならわかってくれるかもしれない。

そのままでは無理でも、どこか一部を拾ってくれるかもしれない

そういう期待を少なからず持って欲しいものです。


つまりどういう事?

この人は賢いからきっとわかってくれる、と思った人に

よく考えてもらった結果、わかってもらえなかったなら救いようがありますが、

自分よりも考えの浅い人に、少なくとも自分より優位であることが明白でない人に、

「はい論破」

そう言われた途端に、それ以上の理論の発展は為し得ないのです。

論破に使用されたロジックは絶対であり、明確に矛盾を含まない、

と少なくとも論破した人は思っています。

論破に対する反論はそのロジックの欠陥を指摘する行為であり、

酒宴の席で捨て身の一発芸に失敗する中年サラリーマンの如く相手を辱める行為に等しいのです。


全否定したつもりが逆に全否定された論破者は相手に自分の考えを取り入れさせることが困難になります。

つまり、指摘が規制されるのです。

欠陥のある論理に絶対的な自信を持っていたという事実を相手と共有するわけですから、

この先出てくる論理が信用できるものだと言えるでしょうか。

あるいは、否定し返さなくても、論破を回避する条件を内に秘めていたとします。

説明が面倒だから聞かれたら答えよう、そんな理由で先生に怒られたのもいい思い出です。

論破した人は自分の必殺技に自信を持っており、

相手の如何なる防御をも受け付けないと思っているわけです。

そこで論破された人は切り札を見せて、これでどうだ、と言うわけですが、

論破者にとってそれは詭弁にすぎず、姑息な論だと決めつける必要があります。

認めてしまえば、論破そのものの破綻を同時に認めるわけですから、簡単にはいかないわけです。

論破された人は必死で切り札を見せますが、

論破した人はそんなことは言ってなかったとか、後から出すのはずるいとか、

本題である論理の発展を阻害し、話し方が悪いだとか言葉が足りない誤解を招いた、

なんて解決し得ない人格否定にも方向が変わるかもしれません。


結論のない議論に意味がない、とは毛頭思いませんが、

当初持ち寄った論理よりも発展していないなら、それは無駄だったと言えるでしょう。

あ、何も解決しなかったけど宇宙の謎が深まったとかそういうのは発展に含みます。

新しい疑問の発生は、それを解決することが論理全体の結論づけの手助けになりますし、

「わからないことがわかった」というのは議論の全体像をより正確に把握しやすくしてくれます。

もともとネガティブキャンペーンの苦手な日本人ですから、

論ずる人が自分で間違いに気付いて貰えるのが一番楽なんですよね。

急ぐ必要があるときとか、相手をどうにかして低く評価しなければならないときは別ですが、

例えば自分の場合は、とりあえず疑問しか投げない事が多いようです。

ストレートに言えば、ここが矛盾してるように見えるけどその理由はあるのか、

という意味の質問をオブラートだかビブラートだかに包んで問いかけます。

間違いが明らかだと確信しても、冒頭で述べたように、根拠となるその背景がどうなっているのか。

矛盾を押し通した理論の内側がどうなっているのかに視点を向けます。

相手が何らかの説明を加えたとして、そこで初めて否定が始まります。

突如相手の喉元を突き刺すのではなく、機敏に動き回って相手が対応できるかを見極めるんですね。

相手の回答次第では、手元に揃った二重の指摘点を武器にしたり、

相手の発想力に期待する場合は誘導的に修正したりと、

相手を圧倒することはなかなか勇気もいりますし、人間関係もありますからね。

その後何か思いついたとしても、失敗を恐れて教えてくれなくなるかもしれませんから。

論破は同時に、議論への無関心、拒絶の態度も暗に示すことになりますが、

あの人何であんな事してるんだろう・・・が気になる自分はとても論破などできないのです・・・。








と、いうのが前置きのつもりだったんですが、予想以上に長くなりましたね。

書くネタが~の流れから謎の展開になりましたが、

一応今日書きたかった事を簡単に書いておこうかと思います。

前座とは微塵も関係ないですがね。




本当に英語が上手い人は「君、英語上手いね」なんて言われないらしいですね。

言い始めた人が実際にそれを体験したかどうかはわかりませんが、

母国語と遜色ないレベルで操れれば、そりゃ母国語だと思うわけですよ。

街を歩いてて知らない日本人に声をかけられて道を教えたとしても、

そういえばさっきの人、流暢な日本語だったな、なんて思わないわけです。

全く別の話になりますが、ある人が野球についてこう言ってました。

ファインプレーをする奴はまだまだだ、と。

これは流石に少し考えましたね。

ファインプレーというのは、ぎりぎりの好プレーを言うことが多いですが、

本当に上手い選手は「ぎりぎり」な状態を未然に防ぐことができる、というんですね。

例えば、外野へ飛んだボールを飛び込んでキャッチしたとしましょう。

実況が、すごいプレーだー!なんて言うわけですよ。

観客もチームの枠を越えて大はしゃぎ。

でも、ここで言いたいのは、更に上手い選手ならより速い判断で捕球点を判断し、

危なげなく捕球できただろう、という事なんですね。

あたかも誰でも捕れるボールをキャッチするかのように余裕を持って、です。

英語についてもそうです。

辿々しいからこそ、英語を一生懸命学んだんだな、というのがわかるわけで、

逆に言うと何か気になる点があったと言われているようなものです。


誰かの名言botで見た文句だったと思いますが、

偉い人は問題を解決できるけど、賢い人は問題を事前に避ける

みたいなのがあったんですね。出典を探しても見つけられなかったので語調は変えてあります。

自分の場合、後者の劣化版みたいな青春時代を過ごしているわけですが、

問題を避けるのと先送りにするのは全くの別な話ですからご注意下さい。



書き始める前に用意していた内容はこの程度です。

どう膨らませるかは前座に夢中になっている間に忘れました。

あまりにも前座に時間と思考を使いすぎたので、今日はこの辺で・・・。

2011年10月2日日曜日

10月になりました

最近さっぱり更新してませんでしたね。

長い長い夏休みもまもなく終わります。

思い返せば 7月16日から休みだったんですよ。

10月2日までで、合計11週間と2日、79日間の長期休暇でした。

後期の開始が比較的遅いのは例年通りなんですが、前期の終了を早めたのは文科省の要請らしいです。

それにしても、1年って何日あるんだ?ってレベルのヴァケイションでしたね。

ぶっちゃけ、代わりに働いてやるから休めよ社畜共ってぐらい時間余ってました。


そして、今年の夏は東京大阪間を迂回ルートで横断したり、

合宿で身分証を発行したりとそれなりに充実してたんじゃないでしょうか。

本当は夏休み最後のイベントが録画機の製作だったんですが、それはいまいちうまくいきませんでしたね。

録画機は気長に設定を進めていこうと思います。

当初の予定ではlinuxで作成する予定でしたが、それは最終目標に置き換えて、

他のOSとデュアルブートってのも視野に入れようと思います。

何にせよ、来季までには録画機として稼働できるようにしたいものです。

それにしてもですね、今回組んだこのパソコン。すごく静かなんですよ。

在来の自作が安いケースで済ませたせいもあるんですけど、付属の電源のファンが静かなんですね。

その上にHDDも静かでして、更にケースも静音設計という素晴らしさ。

1Kサーバーには持って来いの静音っぷりなんですね。

製作コストも在来のパーツと比べてもむしろ安いぐらいだっていうからびっくりですよね。

ケースで奮発したり、その他特別に必要なパーツとかを考えても6万の枠に収まっています。

ドライブはBDドライブが欲しいなーとは思ってますが、価格帯を考えるとまだ安くなりそうですし、

まだ必要に迫られている訳ではないのでDVDマルチで誤魔化します。

録画機の話は追い追いするとして。

とりあえずは余裕ができたので近況報告まで、ということなんですが。


 最近ロードに乗ってないんですよねー。

大阪まで行った後、輪行して最寄り駅の隣の駅まで戻り、そこからアパートまで自走して 以来なんです。

群馬のエントリーを忘れてたりして、次のレースは当分無いんですけど、

走ってないと筋肉も感覚も衰えるからねー。

また近いうちに何人かつるんで走っておきたいかと思いますね。