2011年6月15日水曜日

その続き

夏目漱石のタイトルの決め方が適当だったってのは割と有名な話。

このブログもそれに倣って適当です。

継続的な読者でないと何の話題なのかわからなくなりますね。

今日も前回の続きです。

頻度がまちまちなので、前の記事を読んでるかどうか

確認してから読み進めた方が良いかもしれません。




今日も最初は人の挙動についての話から始めますか。

書き始めたらいろいろ思いつくんですよね。

あれも書いておきたい、この話題になったから、ついでにあの話もしておきたい。

書き留めておきたいことは山ほどあるんですね。

考えてることは一本道ではないので、寄り道したら行き止まりが無いんですよ。

途中で無理に立ち止まらずに、一段落したら記事として公開、

次の記事でまた本線に戻る感じで進めますかね。

ネタが尽きたらまた別の話題から始めます。

この手の記事は出発点は話し始めるきっかけとしてしか役割を果たさないので、

結局何から始めても大きな差はないんですが。

懸念されるのは  前に書いたけど――

みたいな文章だと、途中から読み始めた人がついて行けないことですが、

それはその時考えますか。

前置きからして既に長いですけど、本文は更に長くなります。

童話とは違って、字面だけ追っても理解できないかと思いますが、お付き合い頂ければと思います。





ある行為で相手がどう反応するか、話の原点はそこでした。

長い間その命題とキャッキャウフフしてるわけですが、

常識的でないことをした場合にどうなるか、というのをここ数年考えています。

自分がある外的な刺激に対して、一般的ではない反応を起こしたとき何が起こるか。

マジョリティ、多数派に対する挑戦、とでも言えば格好がつきますかね。


大きな駅で荷物を抱えた婆さんが標識をキョロキョロと眺めていたとき、

多くの人は婆さんが迷っている、あるいはそれに準じた状態にあることを感じるでしょう。

しかし、その先には”都会の人は冷たい”と一言で片付く周囲の対応があるわけです。

自分はバイトに遅れそうな新宿駅でその状況に出くわしたんですが、

婆さんが一生懸命に雑多な情報を処理してる姿を見て、

バイトに遅れてまで手をさしのべる必要は無いなと思って通り過ぎました。

公共交通機関で席を譲る時なども似た状況になりますね。

親切に声をかけるべきかどうか。

各々都合があって、いつでも助けてあげられるわけではない。

自分がやる必要は無い、他にも人は大勢いるんだから誰かが。

互いに認知しない不特定の集団における特有の心理状態。

これの打破は意外と興味深いんです。


親切な人は周りの目を気にせず声をかけ、助けるとします。

親切な人が同時に複数いた場合、誰が声をかけるのか。

声をかけようとしたとき、反対方向から別の親切そうな人が歩み寄っていれば、

そこでダチョウ倶楽部になるかもしれません。

誰かが退いたとしても、数名がかりで助けたとしても結果に大きな違いは出ないでしょう。

親切さんが多数いたらどうなるでしょうか。

20m先に困った婆さんを見つけたとします、

その後方5mに声をかけようか迷っているおっさんを見つけました。

その奥でおっさんと婆さんを眺める青年が立ち止まりました。

自販機で買った飲み物を握ったまま一部始終を見守る女性は微動だにしません。

この状況で声をかけるのは一体誰なのか。

婆さんを中心に、自分、おっさん、青年、女性の4人の小集団で群集心理が働くのです。

壁を越えたと思ったら、また同じような壁があった、という状況。

自分じゃなくても、時間のある人が、と状況は違いますが振り出しに戻ります。

周りの状況に流されず、自分の信念を貫く人はそれでも声をかけます。

その人はそれでいいのです。

この場合、本来は周りに誰が何人いるかを考慮する必要はないのです。

重要なのは婆さんが助かるかどうか、その一点なはずです。

しかし、立ち止まり、迷う人は助け損ねた自分の立場、リスクを天秤にかけてはいないだろうか。

そんな人はあくまで”常識的”だと言えるかもしれません。


自分を知る人が誰一人として居ないであろう空間で、どんな失敗をしようとも、

自分に対する社会的な扱いの変化は感じられないでしょう。

しかし公衆の面前で恥をかくことを嫌います。

この矛盾は多くの人が抱えたまま、疑いもなく過ごしているのではないでしょうか。

理由付けとしては、知らない人に迷惑がかかるとか、目立つと恥ずかしいとか、

それっぽい理由はいろいろ出てきます。

人助けに失敗することは恥なのか、格好が悪いのか、

あるいは知らない人達に不様な印象を持たれても気にしない、とか

そんな議論をすっ飛ばしてるのは、ちょっと話が長くなるからなので、勘弁して下さい。



思考が一本道でないのは言うまでもないですが、

それを文章にするのには相当なスキルを必要とするので、若干の違和感は我慢して下さい。

分かれ道をたどった末にあるていど妥当と思われ、かつ流れがスムースなものを書いてます。

実際に頭の中には消しきれない分岐がいくつか残って、その中にはかなりシュールなものもあります。


事実は小説より奇なり、と言いますが、大抵その「奇」に準ずるレベルまで想定します。

「奇」は当然「奇」なわけですから、一般的に事前に想定されるものではありません。

事後的に理由を考えても、なかなか思いつかない事だな、と感じることばかりです。

それをわざわざ考えるんですね。

不確定な要素を盛り込めばそこはパラダイス。

ここで宇宙人が襲ってきたらどうしよう。

庭に巨大な隕石が落ちてきたらどうするべきか。

基本的な方針は厨二病に見られる妄想と概ね同じです。

ただし、より現実的で応用範囲の広いものが好ましいですね。

急病人が出たらどの人が何をするべきか。

建物が倒壊したら何を最初にするのか、偶然助かるにはどの辺にいたらいいか。

坂を下るときに車に撥ねられt おっと、この人はそんなこと想定してなかったぞ。

とりあえず、思いつく順にいろいろな不確定要素を極端な状態に設定するんですね。

ただし、あくまで現実的な範囲で。


現実的な範囲で極端な、というのが難しい塩梅なんですが、その辺は経験と勘です。

ここで欠かせないのが発想力。

当然想定されるべき不確定要素、というのはまぁ並の妄想力があれば思いつきます。

むしろ考えなくても体が反応するので、想定されるべきですらないことも多々ありますがね。

脈絡のない事象を関連づける、というか比較する、の方が適切だろうか。

そういった習慣が妄想力を高めます。

簡単なレベルから始めると、朝通学してる途中にゲロった残骸を見かけたとします。

頭の中では一日中いろんな人にゲロってもらって、その時どうなるかを考えるんですね。

自分が居合わせたその瞬間だけでなく、その後その影響を受ける現象についてもですね。

これが前に書いた「ストック」として積まれます。

新たな状況におかれても、以前想定したゲロルシュタイナーによって、

一から考え直す必要も無く応用でパッパと済ませます。

応用で済むようになると次の新しい駒を探します。

別にショッキングな事じゃなくても何でも良いです。

列車で向かいに可愛い女の子が座ってたけど声をかけられなかった。

あらゆる所でべっぴんさんと出会うシミュレーションをするだけです。

逆に変なおっさんに絡まれそうになった、とか、会いたくない知り合いが――とか。

避けるばかりでなく、相手に対して積極的に行動することも幅が広がります。

どんな一言をかければ相手に衝撃を与えられるか。

不意を突いて相手の情緒を不安定にさせるのも手です。

自分がここでゲロったらどうなるか。ぷるぷる震え始めたら周りは何を思うか。

自分が不確定な要素になるのもとても重要。

常識的な人には難しいかと思いますが、そもそも常識的な人はこんなことしませんから。


そんなこんなでいろいろ考えていると、

時に思いついた奇抜な発想が良い結果を招きそうな気がしてくるんですね。

思い切った行動にはリスクが伴いますから、あまり浅はかな行動をしてはいけません。

結果を予測するために軽いアクションを起こしてみるとか、

予兆無しの一発で決めないと効果が半減するとか、

その辺のリスクマネジメントはしっかりしないといけないですね。


奇抜な、というと大げさですが、

日常の細かい所作でも一般的でないことを盛り込むことができるのです。

他人の動作を不快に思って自分の動作を見直すってのは、

この流れにかかわらず大切なことですよね。

不快に思わなくても自分の動作を見直すんですね。

なんと何気ない行動に理由を求めるだけ。

なんかあの動き格好いいなーとか思ったら当然考えれば良いんですが、

何気なく見過ごしてきたけどよく考えたら無駄な動きじゃない?とか、

誰もが当然のようにする仕草を一捻るするならどこをいじるかな、

細かいけどこの動作には個性が出てるなー、

みたいな事ですね。


言っておきますが、発展しすぎると「変な人」になります。

何もかも独創的にすれば良いってわけではなく、逆に普通を維持することも大事です。

不要に目立たないというのも重要。

普段隠れる事で、ここぞという時に飛び出したインパクトを高めることができます。

何をしたいのかも先に考えておいた方が良いかもしれませんね。


自分の性格がこの先どこへ向かうのか、これは誰が考えても損がないのではないだろうか。

ただ、無鉄砲な人がこの先の事を考えると無鉄砲な性格では無くなりますけどね。

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