2012年5月16日水曜日

手段を模索する話 ~あなたの目の前に女性がいます~ 【だいたい完全版】


タイトルはですね、後で自分が投稿を振り返るときに

何の記事だかわからないことが度々あったのでね、最近なるべく内容を示すようにやってます。


さて、久しぶりに頻繁な更新ですけども、きっとストレスが溜まってるんでしょうね。

ついでにブログのレイアウトを若干変更してます。

主に記事幅の修正なんですけど、他も少しずついじったりいじらなかったり。

あんまり読者視点で記事を読み返さないものなので、使いにくかったら御免なさいね。と。




本題に参りましょう。

ここでは場合分けの話をします。

勢いで書く題材だったのに、変な前置きをしたせいですごく後悔してるんですが、

割とまじめに考えるの記事のつもりなのでそのままいきますね。


目の前の女性のスカートの中を見る必要がある。

そのとき何をするか。


見たいとか見たくないとか、倫理がどうとかそういう議論もできますが、

あくまで今回は手段についてを重視します。

早い話、変わった会社の就職試験みたいな形式だと考えればいいですね。

ただ、今回は考える時間が十分ありますし、選抜試験でもないのでゆっくり考えてください。



これから自分の考えた手段について書いていきますが、もちろん模範解答はないですし、

この件に関して優秀な解答というのは無いものとしましょう。



途中でしたけど、一通り書き上げました。

2週間ぐらいかけて書いたので一貫しないかもしれませんが。



強制はしませんけど、自分なりに考えを持ってから開いた方が良いかもしれません。




さて、お題は「女性のスカートの中を見る」です。

漠然とした出題に対して最初から匙を投げる人とか、考えようともしない人がいますけれども、

その辺の姿勢に対しても途中で触れようと思います。


まず最初に思いつく定番中の定番をいくつか。

初めの発想は経験的に連想されるもので十分でしょう。


めくる、のぞく。

対象物が布で覆われており、その上覆いでさえも厳重なものでは無いとわかれば、

覆いを剥がすか、視点を変えて覆われていない角度を探すのが順当な方法でしょう。

手を伸ばせばそれで済むのです。


映す。

鏡というのは太古から神秘的なものとして扱われてきました。

多くの動物は鏡を有効に活用する手段を知らないのではないかと思いますが、人間は違います。

多くの先人たちが歩んできた道であり、

人生を天秤にかけても惜しくない永遠のロマンス。

男の求めるすべてが、その手のひらの鏡の先にある。

っていうぐらい一昔前は逮捕者が話題になりました。

言われなければなかなか気づかない方法ではありますが、

一度知れば確かに有効な手段だと頷けます。


いわゆる理系さんなら一度は聞くか思いつくかしてるかと思いますが、

不可視波長の線による透視など、科学的な手段も考えられます。

素材によって透過に関する性質は違うでしょうが、

多くの場合は布地をすべて透過してしまい、皮膚か骨が見えるレベルになるので

この方法は一旦置いておきましょう。


映す、に関連して”写す”というのもあります。

いわゆる盗撮です。

携帯電話にモジュールが当然のように搭載されるようになって久しいですが、

あれもきっと、未だに絶滅の兆しすら見せていないのでしょう。

昔はスピーカーの配線を切ったりとか、そして端末の進化と共に

現代に適応したスマートフォン向けの無音撮影アプリケーションなんかもあります。

自分が知った当初は黎明期でしたから、メールをしてる振りをしながら・・・なんて感じでしたね。

リスクをそれほど高めず、データとして保存できるというのは優れた電子技術の賜です。

また、携帯電話なんてせこい装置じゃなく、小型モジュールを使った盗撮カメラや、

逆に堂々とデジタルカメラで、というのもあるようです。

スカートからは逸れますが、望遠レンズ抱えてパパラッチ、というのは今も昔も変わりませんね。


さて、この辺りまでが王道と言える手段ですね。よく報道されます。



ここからは少しずつひねった手段を考えていきます。

一度お題を振り返りましょう。

「 女性のスカートの中を見る 」とは実際どういう事でしょうか。

常識的に考えれば、当然スカートで隠してあるパンツを見る。ということになりますよね。


解釈から攻めていきます。

隠してあるなら。

隠さないように仕向ける方法が考えられます。

では、隠さない状態とは何か。

大雑把に言えば、めくるか脱ぐかですよね。

これを女性が主体的にやるよう、あるいは合意を得た上で行うということになります。

基本的にイケメンさんかテクニシャンか催眠術師か、というところにはなりますが、

とにかくテイクアウトできるような雰囲気になれば今回の目的を達成することができます。


あるいは、主体的に見せるのをためらう場合は

何らかの対価を与えることで可能性が見えてきます。

現金というのが一般的なようですが、相手の需要に応じて柔軟に対応することが重要でしょう。


逆に、女性にとってパンツを見せたくないものから見せるものにスワップする手もあります。

いわゆる見せパンですね。

何らかの交渉によって、あるいはこの類のものを履いている女性を対象とする事で

難易度がぐっと下がります。たぶん。



中を見る、とはどういうことか。

実は、「中」が具体的に何を指すのか定められていません。

パンツそれ自体を見るだけで良いならば方法はまだあります。

今回は“スカートの中”と書いてありますが、

解釈によっては単にパンツを見たいだけかもしれません。

もしそうであるならば新品でも良いし、干してあるものを見るのだって構いません。


逆に、“スカートの中”としか言及してないことを考えると、

実際それはパンツである必要がありません。

ブルマでも水着でもスカートin短パンでも問題無いのです。

また、スカートの長さも規定されていないために、ロングスカートの“中”でも条件を満たします。

その前提の下では膝ぐらいでも十分となるのです。


二つの解釈を組み合わせれば、靴や靴下でもベン図に収まる事になります。



屁理屈に見える人もいるでしょうが、常識なんてそんなもんです。


誰かに一言で何かを依頼されたとき、

その文意を寸分の狂い無く理解することはとても難しいことです。

親しい間柄でさえ短い言葉では意思を通しくいですが、

それが初対面ともなればより精度は悪くなります。

極論を言えば、相手が何を言いたかったのか理解できないことだってあります。

聞き手が常識だと思っている基準で物事を測るとあまり良いことはありません。

今回のように曖昧な依頼があったときは、

まず相手にとっての常識を予測することが先決だと思います。

場合によっては、字面からは読めないことが見えてくることがあります。

例えば、人によっては手段だけを指定する事があります。

受け手は目的がわからないまま任務に当たる事になるわけですが、

目的を理解して実行に移した方が気分的にも、効率も良くなるときもあります。

腑に落ちないときは自然と考えてしまうものではありますが、

相手が何を思ってそう指示したのか、に思いを巡らせるというのも重要であります。


一言一句の選択には人の意図が忍びます。

目的を伏せるのは意図的である事もあります。

遂行者の失望を防いだり、

あるいは目的を時間差で明かすことによって驚かせる、なんて事もあります。



さて、もう一度題意を振り返りましょう。

「目の前の女性のスカートの中を見る必要がある。 」

それに対してあらゆる手段と結果の一例を挙げてきましたが、

結局何をすれば良いのかは時と場合による、としか言えません。


実はここからが本題の本題なんですが、

時と場合に依らない互換性の高い解決策を見いだすことができれば良いと思いませんか。

というのもなかなか難しくはあるのですが。


他者からの依頼は別になんだって良いんですけど、たまたま記事を書き始めたときに

現代の小学生はスカートめくりをしないって記事を読んだってだけです。

セクシュアルハラスメントの意識が社会的に高くなって、

それが物心つかない子供たちにも波及してるとか。

ただ、スカートめくり全盛期の人たちに言わせれば、

当時はブルマを履いてたからめくられても問題なかったし、

むしろめくられる事が一種のステータスだったとか。


依頼主のあらゆるニーズに応えられるよう、思いつく限りの手を尽くす。

盗撮画像を用意し、パンチラしてくれる女性を調達、手当たり次第の下着を予め準備し、

リアリティの高い仕込みをする。

まあ、ちょっとお題がお題なので例としては適切じゃないですけど、

コストの上がらない範囲でなるべく多様な回答を手札に加えておけば損はしない。

ただし、多くの場合馬鹿にされることを覚悟しなくてはいけない。

高笑いされるほどに周到な前準備があってこそ完全が期待される。

相手が求めうる隅から隅までを想定し尽くし、

一般的な返答を用意した上で順に極論へと詰める。

一見無茶な要求なように見えたって、少し手を回すだけでカバーできるようになるものもあります。

普通でない解釈をするのは、依頼そのものが

普通の考えに基づくものでない可能性があるからです。

そもそも普通の考えのできる普通の人がどれだけ希有な存在かという話にもなるのですが、

希有というのはそれ自体でマイノリティーなわけですから、

多くの人にとっての非常識が一部の人にとっての常識である確率は

ある一定以上見込まなければならない場合があるのです。


要は、一部の変態の要求に幅広く応えてあげようじゃないか、ということです。

ですが、すべての変態さんの要求に応える必要は無いとも考えます。

仲良くしたくない人に献身する事が何を意味するかというところですね。

依頼に応じる準備があっても、経緯によっては伏せたり拒んだりすることも有効です。

あるいは、それを利用して関係を操作する立場に立てることで、ある程度有利にもなります。

なかなか上手くいくことはないものですが、こちらが奉仕するべき立場であるにもかかわらず

気を利かせられてるのに弱い人には結構効くみたいです。

その場合、有利になるというより友好的になりやすいんですけどね。

ただ、下っ端があんまり指示された範囲を超えた活動をすると越権行為になりかねないので

その辺は時と場合によって、依頼主の顔色を読んで、というところですかね。



冒頭で提起しましたが、漠然としてるからといって投げる前に、何もしないよりかは

ある一例を考え、また別の一例を考え、と順に手札を増やしていくのがいいのではないでしょうか。

本当に何もできないこともありますけどね…。

ただ、普段から何事にも真摯に対応する印象さえ持ってもらえれば、

それなりに何かあったときでも融通を利かせてくれるひともいます。

恩を売るという事ではないですが、情に厚い人には割とウケが良いみたい。

今時のゆとり世代に人情なんて殆ど感じませんけどね。

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