2011年3月10日木曜日

事故を起こしました

3月5日、箱根を小田原から三島へ向けて越える途中、

下り坂で自動車と接触事故を起こしました。

出発から峠越えまでは前の記事をご覧ください。



箱根新道と合流し、交通量は格段に増えた。

零度の箱根を越え、少しずつ気温が高くなるとはいえ、

ダウンヒルはただただ体の硬直と操作性の低下を招くばかりだ。

今回のために調達したカステリの耐水グローブは、

雨風の遮断能力が高く、

このシチュエーションには最適だった。

最適といえども、同じ素材を使用したシューズカバーでも

気温で足が冷えて仕方なかった。
 
路面は片側一車線で、状況は最適とは言えない。

凍結や路肩の残雪の可能性を否定できなかったし、

小石が散らばっていても走りながら確認することはできない。

十分なグリップ力を確保しながら時速15kmで三島へ下る。

前照灯二つ、後尾灯三つでエアロスポークには反射材をつけた。

道幅に余裕があったので、色の分かれた白線の外側を走行した。

新道と合流して1km走るかどうかというところだった。

例えるなら、交通事故を車載カメラでみているような、

正にその映像が最も想像しやすいかと思う。

ドンッ という音と共に視界が暗くなる。

暗くなると言うよりは、

予期せぬ視覚情報を記憶できなかったのかもしれない。

恐らく空を見ていたのだろうが、

その後の話で自分が宙を回転していたと知る。

右カーブを曲がりきる前に後方から乗用車に追突され、

すくい上げるようにボンネットに乗り、

フロントガラスでヘルメットを打ち、

ガードレールの外へ飛び出したとされる。

着地点は枯れ草の茂ったところで、

落下による衝撃は大きくなかった。

衝突から数秒間は状況の把握に費やした。

自転車にまたがった状態で車道の方を見ている。

路肩に止まった車が一台ある。

不意に動き出し、

「あ、逃げるのか」

それだけ脳内でつぶやいた。

しかしまもなく止まり、ドライバーが自分に駆け寄る。

「すいません、大丈夫ですか」

生きていればつまり大丈夫、

という考えは自分の深層まで根付いているのだろう。

「大丈夫です」

どう考えても状況的には大丈夫じゃない。

ドライバーは終始オロオロした様子である。

どうも体が動かない。

しかし折れた様子もない。

事故前から意識ははっきりしていたので、

冷静さだけは保ったまま応答をした。

とりあえず股で挟んだフレームを

自分でどけることができないので、

ドライバーに手伝ってもらい座り込んだ。

ヘルメットも自分で外すことができないほどだった。

とりあえず車に乗り、警察へ連絡することになった。

事故を起こしたことがないから、と悔しがっている様子だ。

iPhoneで電話をかける。

さすがに禿も山とはいえ、国道沿いなら繋がるのか。

警察が来るまでの時間が長く感じられたが、

実際に長かったのだろうと思う。

警察が到着し、事故の調書を作成する。

しかし、俄には時速15という値を信じようとはしなかった。

追突した車の時速が40kmだったとされるので、

最終的には相対速度的に妥当だと判断された。

自転車の寸法を計ったり、損傷をみたりした後、

加害者と警察は現場に残り、

呼んでもらった救急車で自分は一人病院へと向かった。

検査はレントゲンを撮るぐらいなもので、

骨に異常もなく、全治2週間の打撲と擦り傷だと診断される。

現場を離れる際、警察の担当の方に連絡先をいただき、

診断書を書いてもらったらここへ連絡してくれと言われていた。

日付を越える頃に連絡をするが、まだ署に戻っていないという。

折り返しの連絡を待つ間、

家族や先にホテルへ行っている友人と連絡を取った。

病院からの交通手段などについてを教えるから、

と警察の方に連絡先をもらっていたので病院から出られない。

先に会計だけ済ませることになり、

一時金として一万円を払い、預かり証を受け取った。

深夜は会計システムが停止しているので、

明日の朝以降にまた病院へ行くこととなった。

そうこうする間に腕や右足の痛みは和らぎ、

腫れも収まりつつあった。

他の救急患者も退院して暇そうにしている医師から、

誰か来たみたいだ、と言われる。

加害者とその奥さんのようだった。

「この度は本当に申し訳ありませんでした」

控え目な性格とはいえ、ここで いえいえ とは言えなかった。

加害者側としても、自分が悪いと認めてくれた方が楽なときがある。

とりあえずホテルまで送ってもらえることになり、

自分が現場を去った後の話などを聞いた。

自転車は加害者が保管しているということや、

途中で他の単独事故が発生し、

自分たちの件の現場検証に時間がかかったことなど。

会計の話をすると、明日迎えにいくから連絡してくれと言われた。

その後にでも事故車両の検証をさせてもらおうと思った。

加害者が警察に診断書を持参すると言うことで、

それを渡して車に乗った。

この後警察へ向かうという。時刻は25時を過ぎている。

病院を後にし、車内で思いつく限り確認すべきことをした。

眠気はない。興奮状態にあるのだろうか。

ホテルの入り口で加害者側と別れ、フロントでチェックインした。

他の客もいた。いったい何時まで開いているのか。

部屋で時計を見ると、1時20分を回っていた。

箱根の最高地点を越えて、最初の自販機で

カフェオレとミルクティを飲んで以来水分を口にしていない。

空腹感はあったが、時間を考えても

今からコンビニへ行こうとは思わない。

とりあえず水道水を口にした。

感じたことのない特殊な疲労感を噛みしめる。

風呂にはいるのも億劫で、翌朝にしようかとも考えたが、

今体を温めるかどうかは明日の回復に関わると思い、

体は石鹸で洗わなかったがとりあえずの入浴をした。

体重がどれくらい変化しているのかも気になったが、

シングルの客室にそんなものがあるわけがない。

うつろな目でアナログ放送を眺める。

明日の朝食バイキングは9時までらしいので、

それまでには支度をしなくてはいけないと思い、

寝るのもめんどくさいぐらいだったが、ベッドに体を忍ばせた。

意識はずっとあったのだが、やがて脳は活動を止めた。

ひどく疲労が溜まっていたのだろう。

時計を時折見ながら、7時頃体を起こした。

朝食をとりに行くには、どうしても友人に

自分の荷物を持ってきてもらわなくてはならない。

当時自分の手元には、事故当時着ていたサイクルウェアと

備え付けの寝間着しかないのだ。

7時20分頃電話をかける。

電話越しに聞く友人の声は明らかに寝起きだった。

診察が終わって病院からかけたときも

寝てました、という声だったのだが何時間寝たのか。

着替えを調達し、食堂へと向かった。

もう一人の友人は体調不良で高熱を出しているらしいので、

時間ぎりぎりに起こす方針になっているらしい。

症状は回復し、腕や右足はほぼ完全に動くようになっていた。

打撲ってこんなもんか、とあっけなく感じた。

朝食は普段よりも多めにとり、カロリーと水分の補給に努めた。

加害者側には、昨晩が遅かったので

遅めに連絡しようと考えていた。

高熱の友人を起こし、朝食へ向かわせた後、

9時30分頃に加害者の携帯電話へかけた。

しかし、呼び出し音すら鳴らず留守電に回されたので、

加害者の自宅を呼び出した。

すると、昨晩の加害者の奥さんと思われる人が応答した。

本人は今、保険会社と連絡を取っているという。

一時間後にホテルに来てくれと言い、

ついでに友人二人を駅まで送って貰うようにお願いした。

チェックアウト時間の10時を過ぎて20分頃ロビーへ向かった。

曰く、病人とけが人がいるからしかたない、だそうだ。

おおよそ時間通りに迎えに来て、自分は助手席へ乗った。

自分の動く姿に安堵している様子だった。そりゃそうか。

友人たちを駅でおろし、病院へと向かう。

事故車の確認をしたいと持ちかけるが、快諾される。

この人ならどうやら話がスムーズに進みそうだ。

会計処理を行おうとするが、

やっぱり保険会社を通してにしたい、

ということで預かり証と一万円を交換して病院を後にした。

加害者宅へ向かうまでもいろいろ話をし、

月曜にならないと保険会社の担当が決まらないことや、

数日前に納車されたばかりで操作になれていなかったことなど、

言い訳をする風でもなく話してくれた。

言い訳のつもりだとしても、

情をかけるつもりなど端からなかったが。

加害者の自宅で自転車を出し、検証を始めた。

接触した方向や、車と自転車の傷など。

自転車の今後の輸送や見積もりについてもある程度話を進め、

最終的には保険会社を通してすることになるだろう

ということで一旦落ち着いた。

加害者の母であるという女性が出てきて、やはり謝られた。

いろいろ話をするうちに、

加害者が大学生だった頃の事を思い出したりしたようだ。

正直、この人たちは良い人たちなんだろうと思う。


検証も一通り済ませた頃、

昼食を弟の店で食べていってくれ、と言われた。

なんだそりゃ。

その店までの間、そして注文して食事が出るまでに

昔の大学の話などをしていた。

普通においしいイタリアンのお店だった。普通に。

他愛のない話をしながら、良かったーって事を何度か言われた。

まぁ俺自身も、ちょっと回復が早いような気はするけどもね。

店を出るときに調理室の弟さんと

ウェイトレス(弟の嫁さん?)と少し話をして駅へと向かった。

別れ際になんかでかい紙袋を渡され、

中の箱には お見舞い、と書かれた紙が貼ってあった。

どう話が進んでも、加害者が持ち帰る訳にいかないのは

目に見えていたので、

躊躇う素振りを見せながら素直に受け取っておいた。

けが人の荷物を増やすとは、図ったな。

親には実家に戻るよう言われていたが、どうしようか迷っていた。

救急搬送されたぐらいなので、親としては心配だろうが。

連絡すると、帰路の途中にある姉の家で中継すればいいと言う。

スノーボードのツアーがキャンセル待ちで行けず、

昨日今日(当時)と暇にしているそうだ。

予定されていた旅行の日程分は少なくとも暇だし、

療養にも実家の方が良いかもしれないと思い、帰省を決断した。


つづく

続きは補償関係も書こうと思うので、

一週間程度時間をいただきます。

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