2011年1月5日水曜日

幸せってなんだろうなと思うことがある

遂にロマンチストになっちまったのか、ってそんなこたぁないんですけどね。


新年明けましてこんばんは。

私用で忙しかったのでブログの更新めっちゃサボりました。

今年も変わらずマイペースにご愛顧くださいませ。



自分は年がら年中何かについて物思いにふけってるタイプの人なので、

事あるごとに問題提起して理屈を考えてるんですね。

すぐに飽きるものもあれば、考えても納得のいかないものもあります。

結論づけたものを考え直したり、

もっと賢くなってから考えた方が面白そうなものは脳内で保管したりします。

そんな中の一つに、幸せってなんだろうっていう難問がありまして、

割と昔から脳内で安置されてるんですね。

これに関しては、お偉い哲学者さんも悩むような、

人類における永遠のテーマだと勝手に考えています。

絶対的にこれが幸せで、これは幸せでない、

という結論には自分が死ぬまでに至らないと思うので、

今回は特定のものについて考えようと思うのです。



考える方が幸せか 考えない方が幸せか

そろそろ”幸せ”がゲシュタルト崩壊してきましたが、放っといて進めます。

幸福を追求するためには幸福というビジョンを明確にするといいかもしれません。

自分にとってもっと幸福なシチュエーションを考えたことがありますか。

たとえば、好きな食べ物に囲まれた状態とか、最愛の人とずっと一緒にいられるとか、

その時々で最高の幸せだとか言っちゃう人っていますけど、

それが考え得る最高なんでしょうか。

食べ物に囲まれている状態にマッサージチェアでも追加すれば、

更に幸福になれるかもしれません。

最愛の人がもうちょっとイケメンだったらもっとよかったかもしれません。

自分は最大の幸福を享受できる環境をひたすら模索したことがありますが、

どうもしっくりくる結論に至ることはありませんでした。

更に、幸福の積分とでも言いましょうか、

一定期間を見たときに幸福の合計値が最大になるように状況設定をするなら、

そして期間を長くすればするほど困難を極めます。

早い話が、 ”美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる”です。

美人さんが隣にいればドキドキするでしょうけど、

あんまり長い間居られるとそろそろ心臓が疲れてくるんでしょうね。

打ち解けるうちに劣等感を感じたり、不均衡が気になり始めたら終わりです。

均衡のとれるライバルが現れないか気になってしかたありません。

外見から得られた理想とその現実との間にある溝も怖いですからね。

長期的に見るとそこそこの人の方が良いのかもしれないです。

さて、その”そこそこ”ってなんでしょうか、という話になるんですね。

自分はよく”トータルバランス”って言葉を脳内で使い回してるんですが、

このトータルバランスがまた難しいんですね。

流れ的に人間の話になってきましたけど、

人間こそ”人間にとって考慮するべき要素”の詰まったブラックボックスなので丁度いいかな。

外見、性格、境遇、経歴など”最高”を選別するための要素は数えればきりがないのですが、

個々のステータスを全て最高と考えられるものに設定すれば、

果たしてそれが自分にとって最高の人間になるだろうか。

一般的に考え得る恐怖としては、自分を見てくれるだろうかということ。

両者が、少なくとも優れた側がアンバランスだと感じれば、

そう長く幸せが維持されない可能性がある。

少女漫画とかはこの辺が基本的に無視されてますけど、

現実社会において非常に重要な要素です。

相手が相手の意志で離れようとしない程度に理想的でなくてはいけないのです。

これらを数学的に関数で表すなら、煩悩の数だけ考慮した108次関数になるかもしれません。

あんまりうまいこと言えませんでしたが、トータルバランスを最高にするには

この複雑な関数の最大値を求めなければならないのです。

要素の中には連動して変動する要素もあり、

自分のように頭の貧弱な子には到底求められるものではありません。

例えば、今あなたの好きな恋人や理想的な芸能人が1人いたとしましょう。

その人は本当に理想的ですか?

短所も含めて全部が好きだとはよく言いますが、理想へ向けて改善できる点はありませんか?

もう少しにこやかだったら・・・もう少しスタイルが良ければ・・・

そう考え始めると好きだった人が好きでなくなるかもしれません。

あ、次元を落とせとはだれも言ってないからね。

幸福を追求することが更なる幸福を生み出すとは限らないのです。

これは人間に限ったことではありません。

生活をよりよくしようと人は機械を発明し、発展させてきました。

その結果、人々は代償としていろいろなものを失い、

ホモサピエンスとして現代社会に適応できていません。

その結果が各種精神疾患やアレルゲン反応、過敏症などではないでしょうか。

愉快なテレビゲームや、地球の裏側の事が瞬時に知れるインターネットは、

一部の若者をどう変化させたか。

人類が生き残るためのエコロジーとは、今より不便にならない範囲でのもの。

省エネルギー型に置き換えられるものは廃止しようという考えがそもそも無い。

エコカーに乗り換えるよりも、車に乗らない生活の方が遙かにエコかもしれない。

時には進化でなく、退化を選ぶことも重要ではないだうか。

最善を選ぶことが時に最善ではなく、最悪を選ぶことが最善なのかもしれない。

しかし、こんなことを考えさえしなければ目先の幸福に夢中でいられただろう。

夢中でいられることが人間にとって一番の幸せだとしたら、

自分は割と遠いところにいる気がする。

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